吸い過ぎ
まいど
トレーナーの山崎です。
スポーツ現場でたまに見る疾患として過換気症候群があります。
簡単に説明すると、ストレスなどからパニック状態になり、呼吸過剰から血中の二酸化炭素が薄くなり、二酸化炭素が薄くなると脳の血管が収縮し、脳が酸欠と勘違いして呼吸を促進して、また呼吸が過剰になり、、、
とグルグル回っている悪循環が生まれます。
よく改善策として、ペーパーバック法と言い、過呼吸の人に袋の中で繰り返し呼吸をさせると、血中に自分の吐いた二酸化炭素が血液に取り込まれ、正常な二酸化炭素濃度になって発作がおさまるのです。
ここで重要なのは酸素ではなく、二酸化炭素
よく、酸素を吸うために呼吸をいっぱいしましょうなどとわけのわからない理論がありますが、吸いすぎて血中二酸化炭素濃度が薄くなると脳の血管が収縮してしまいます。
パニックになるかならないかの違いだけで、実際に血中二酸化炭素濃度の低い人は多いのではないでしょうか。
パニックにならない人は吸うために胸式呼吸を駆使して酸素を取り込みます。
もっと胸を開いていっぱいいっぱい吸いたい。
水槽のぶくぶくが切れた時の金魚を思い出します。
こうなると負の連鎖の始まりで、色々と不定愁訴につながります。
呼吸は吸うよりも吐く方が大事です。
血中の二酸化炭素濃度を簡単に測る機械がないか調べてみることにします。
理論的だけではダメ
まいど
トレーナーの山崎です
トレーニングにも理論的に語られる部分と、昔からのこうしなければならないと言われる部分が混在します。
よく、理論的でないトレーニングは根性をトレーニングしていると言われますが、
必要か必要でないかはよく議論されるところです。
例えば、野球選手に素走りは必要かみたいな議論です。
よく日本のスポーツは心技体と言われますが、この”心”の部分はどのように鍛えるのでしょうか。
理論的なトレーニングというのは、確かに正しいとは思うのですが、理論を正当化していくといらないものは削ぎ落とされていきます。
この、いらないものとは”心”の重要な部分ではないかと思うのです。
”心”とはどのような部分で発揮されるのかというと、誰もが経験していないような場面や、皆が嫌がるような場面、どちらかというとネガティブな場面の方が多いように思います。
理論的なトレーニングというのはなんども言うように正しいトレーニングです。
それはネガティブな状況などを回避し、最も最適な動作や効果を獲得するためのトレーニングであります。
これでは”心”はどこで鍛えられるのでしょうか。
そういった意味でも意味のない理不尽なトレーニングというのは必要だと思います。
正確に言うと、意味は無くはないが、近道を求めないトレーニングといったところでしょうか。
それは非常に難しい。
精神的なプレシャーを与えると言う意味では、時間の制約をつけるのが今のところ思いつくトレーニングです。
この辺りは、ベテランのコーチという人づくりを行なっている人たちの方が得意かもしれません。
副交感神経と涙
まいど
トレーナーの山崎です
本日はパーソナルトレーニングあるあるを
パーソナルトレーニングを受けられる方の目的などはバラバラなのですが、
こちらが提案することの一つに、
まずは健康的な体を手に入れていただくというのがあります。
健康的というと広義になってしまいますが、
私が意図しているところとしては、
人間が本来持っている力を正常に戻す、引き出すということを提案しています。
これは本来人間はじめ動物は病気などを自分で治す力が備わっています。
しかし、これを他力本願といいますか、薬や外部の力に頼ってしまうと、
本来持っている自然治癒力などは発揮されません。
人間としての生命力が弱くなっている状態です。
その状態の一つに、
交感神経が優位に働いている状態があります。
交感神経はストレスなどを受けると優位に働きます。
言い換えると、ストレスに対処するために交感神経を優位にし体を防御していると言ってもいいかもしれません。
しかし、この交感神経が優位に働いた状態が続くと副交感神経が働きにくくなってしまいます。
副交感神経は体をリラックスさせたり、体回復を促す働きがあります。
この交感神経と副交感神経が交互に入れ替わることで人間が活発に行動できたり、休んだ時には回復・成長できたりと生命活動が行われます。
交感神経が優位に働いた状態は言い換えると神経を張り詰めた状態だと言えます。
一見、活動的に見えますが、格闘技ゲームでいうHPが刻々と削られていってしまっている状態です。
本来であれば休むべきタイミングで副交感神経が優位になって回復し、HPが満タン状態というのが理想的ですが、
交感神経が優位に働いている人は副交感神経が優位にならずにHPの回復が起きないと言えます。
この状態に陥るとHPは徐々にすり減り、最終的には瀕死状態になります。
現実世界の人間でいうと病気などが表面化した状態でしょうか。
なので、交感神経が優位に働いている人は交感神経を緩めるということをしないといけません。
具体的な方法はここでは書きませんが、副交感神経を優位にするために、緊張を取るということをします。
実際に緊張を取ってあげると副交感神経が優位になり、
副交感神経が優位な時の症状が現れます。
特にわかりやすく出るのが涙です。
涙は副交感神経が優位な時に出ます。
(急激なストレスでは副交感神経反射が起こりますので、涙が出る)
なので、パーソナルトレーニングに交感神経がバリバリ優位な状態な人が来た時、
まずコンディショニングで副交感神経を優位に(というか正常に働くように)するのですが、敏感な人はここで涙が出ます。笑
体の仕組みを知ると不思議ではないですが、
これを知らないと、パーソナルトレーニングで感動してくれたと勘違いして図に乗ってしまいそうです。
もちろん感動してもらうためにやっているのですが、
この後何が待ち受けているかというとその方の発熱です。
これは副交感神経が優位になったことで、免疫システムが活発になり体の代謝を促そうと発熱するので人間の正常な反応です。
ここで、発熱を薬などで抑えてしまうと、、、、
(ウイルスなどの感染での発熱は発熱以外のリスクもあるので病院で正しい処置を受けた方がいいです)
つまり、発熱は身体が休めといってるんですね。
しっかり体温が上がること(ツケを払う感じで辛いのですが)で代謝が促され、体温が正常に戻った頃にはリフレッシュされた体になっているでしょう。
なので、日頃から自律神経のバランスを正常に保って置くことは必要ですね。
僧帽筋と首の痛み
まいど
トレーナーの山崎です。
本日は首の痛みについて、
整形外科でブロック注射をして痛みが治まらなかった場合、、、
痛みの原因がその注射を行った場所ではおきていないということが言えます。
ではそれ部位以外の痛みが考えられない場合、他の部位での痛みか、心因性疼痛と言って脳が作り出している痛みになります。
また、それらは明確に区分けすることは難しいので原因がいろいろ入り混じっているというのがほとんどだと思います。
一つ、首の安定に一役買っているのが僧帽筋です。
首を安定させる土台として、僧帽筋が機能していないと首を支える土台がなくなってしまうので頚椎には負担がかかってしまうでしょう。
かと言って、肩甲骨も外転位であると、僧帽筋の適度な収縮が出来ずに頚椎に負担がかかってしまいます。
この僧帽筋というのは少し曲者だと思うので、もう少し調べて後日記したいと思います。
あぐらがかけない人は
まいど
トレーナーの山崎です
どんなに現場の経験を積んでいっても、なかなかその人が醸し出すオーラというのは作り出すことができないと感じます。
先日、某プロ野球チームのチーフトレーナーのお話を聞かせていただきました。
大変人当たりの柔らかい方だったのですが、
一つ一つの言葉や振る舞いは重さや責任、覚悟が感じられるような印象を受けました。
これは簡単に手に入るものではないと感じますし、どのような経験を積めばこのような方のオーラを纏えるのか、
日々精進していかないといけないと感じました。
そのためには、自分がそれらを感じ取れる環境に身を置くというのが、やはり一番手っ取り早いでしょうか。
環境選択というのは今の自分の課題のように思います。
さて、
今回は股関節の機能について少し感じたことを書いておきたいと思います。
よく、昔からあぐらがかけないという方がいます。
いわゆる股関節の屈曲・外転・外旋ができない状態です。
どこが制御しているのでしょうか。
この中でも、特に制限をかけているのは中臀筋ではないでしょうか。
特に中臀筋の前部繊維は股関節の内旋に働きます。
また、腰方形筋と協働することが多いので、中臀筋が硬くなっている人は同時に腰部の柔軟性も乏しい可能性があります。
腰部の柔軟性がない状態は、股関節を屈曲外転外旋時に制限をかけます。
股関節が屈曲・外転・外旋位を取るときに骨盤は後傾するのですが、
腰部の柔軟性がないことにより腰椎の屈曲が起こりにくくなり、結果あぐらのポジションを取ることが出来ないのではないでしょうか。
このようなあぐらをかけるようにするためには、股関節だけのアプローチよりも腰部の屈曲方向への柔軟性も獲得するようにすることが結果につながると思います。
論理的思考
まいど
トレーナーの山崎です。
国家の品格を読んで感じたことを少しばかり。
この本の冒頭から論理的思考で物事を全て片付けようとすることは不可能であると繰り返し論じられています。
論理的思考とは、物事を説明するときに”AだからB”といったような論法で論じることを言い、
論理的に説明ができることは所謂頭がいいと言われるような話し方であったり、筋の通った説明ができるといったような感じでしょうか。
フィットネスやトレーニング業界にもこのような論理的思考がはびこっています。
例えば糖質制限ダイエットは是か否か。
よくあるのは、このような研究をした結果、糖質制限ダイエットは有効だった。
一方では日本人には糖質制限ダイエットはあまりよくないなどなど、
実験した事実に基づいて論じているので、理論としては間違ってはいません。
どちらも事実なので正しいと言えるでしょう。
しかし、人々は白黒をつけたがります。
いいか悪いか。この判断は物事を複雑化させます。
なぜ白黒をつけてはいけないのでしょうか。
論理的思考は必要だとは思いますが、あくまでもその場その場の最適な解を導く物であって、一般論や常識というくくりで論理的思考を語ってはいけないと思います。
また、文化や立場、目指すゴールが違えば論理的思考は無数の解を持ちます。
そういったものを判断する際に何が必要なのか。
ここに人が歴史から学ぶ理由があるのではないでしょうか。
謳い文句として”人は歴史から学ばなければならない”ということを知っていますが、
今までその真意はクエスチョンマークでした。
しかし、論理だけでは解決できないことがあるということを知り、では自分がその解決策をどのように導き出してきたかというと、自分の経験だったり過去の結果から引用してきたものを最適解としてきたように感じます。
これらは人が行ってきた結果(歴史)を知る理由ではないでしょうか。
身体に関しては”ヒト”になる前からの歴史も重要になってきます。
そういった意味で歴史を読み解く力は必要だと感じました。
PS
裁判などは白黒つけないといけませんが、
判例があるとそれを参考に判決が下るよなとかいう点も、
論理的思考だけでは限界があることとに気づきました。
足関節をスタビライザーとしてコントロール
まいど
トレーナーの山崎です。
スクワットを評価する時、体重に対しての1RMがどれだけあるかを知ることは、
その競技を行う上でのパフォーマンスベースになることは想像に難しくないでしょう。
スクワットがトレーニングの王様と言われる理由はこういったところにあるのだと思います。
スクワットを構成する要素としては
・股関節の屈曲/伸展力
・膝関節の屈曲/伸展力
・足関節のモビリティとスタビリティ
・体幹部のフェーズに合わせた安定力
など、細かくあげるとまだ出てきますが、主に下半身に重点が置かれています。
このスクワットがなぜ競技に活かされやすいかというと、
多くのスポーツが地面からの反力を得て動作につなげているという点が大きいです。
つまり、地に足をつけて行う競技であればスクワットはパフォーマンスアップに大いに貢献するということが言えます。
競技を行う上で地面が一定の硬さを持っているというのが前提ですが、
地に足をつけたスポーツでは地面に力を加えてその跳ね返ってきた力で身体を移動させたり、腕の振りにつなげたりしています。
力は伝達するので、下肢からの力がうまく伝わらなければ身体をうまく移動させることができなかったりします。
ではその力の伝達はどこでロスしてしまうのでしょうか。
伝達で思い出すのは糸電話です。
糸電話は量端の糸をピンと張ることによって音の振動が糸に伝わり、その振動が伝わった紙コップの底を振動させ空気を振動させています。
これは振動というエネルギーがロスなく伝わったことを意味します。
しかし、この時糸が緩んでたるんでしまっていてはどうでしょうか?
この振動は固定点をなくしてしまい上手く伝えることができません。
このように、身体動作もどこかに緩みがあると力が伝わりにくくなってしまいます。
そういった意味で、スクワットは全身をトレーニングするので、エネルギーの伝達を達成するための身体の剛性も同時にトレーニングできる種目でしょう。
この時、特に地面からエネルギーロスを起こしやすい箇所としては足部ではないでしょうか。
スクワット時に足部が安定していれば、足関節よりも大きな力が出せる股関節などでパワーを発揮することができますが、
足関節が緩んでしまっていれば、エネルギー伝達の固定点を失ってしまい、上手く地面反力を受け取ることができません。
これは筋力がないことよりも致命的だと言えます。
これは投げ釣りを行う時、おもりを遠くに飛ばしたい時に力いっぱい投げても、ロット(竿)の部分が折れてしまっていては力が伝わらず、遠くに投げることは難しいでしょう。
なので、まずは足関節を固定させる力が必要になります。
これはカーフレイズなどで下腿三頭筋をトレーニングすることでも固定力は上がります。
また、ここの影響を回避するために、踵を少し高くしてスクワット動作を行うことも方法ですが競技に活かすのであれば高くしないほうがいいです。
このように足関節をスタビライザーとして使えるようになれば、スクワット動作は競技により行かせることができるでしょう。