ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ、、って
まいど
トレーナーの山崎です
最近体脂肪が気になりだしたので、時間を作って走ることも必要だなと実感しています。
自分でできないことをクライアントに伝えるのはなかなか難しいですから、まずは自己管理ですね。
最近のお気に入りのキーフレーズですが
”ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ”(少し古い、、、)
トレーナーにとって大事だよなと思い改めさせられます。
それをカメラの会社が言ってるわけですから、物事の本質はやはり人間を理解することにあるのかなと思います。
メディアでは座間市での事件がとりだたされていますが、
まだ事件の全貌がわからないうちから、どう思いますかと意見を求められるコメンテーターの方は大変だなと思います。
被害に遭われた方のご家族はいたたまれない気持ちでいっぱいだとおいいます。
絶対に許せない事件であるとともに、
世間はこういった猟奇的な事件に関して(だけに限らず)、理解を深めるために
もっと人間を知らないといけないと感じます。
話は飛び、かつ、うる覚えの情報で申し訳ないのですが、
欧州の生理用品のCMで、ある企業が経血の表現を業界では青が一般的だったが赤(リアル)で表現したそうです。
企業の狙いとしては、当たり前であることを当たり前に表現できることが理解を生むんじゃないかと書かれていました。
ちょっと調べたら詳しく書かれているブログがありましたので記載します。
http://suomi-isshoissho.com/taboo-period-9460
このような表現には賛否両論あるかもしれませんが、
他人が理解を示してくれるだけでも救われる人は多いのではないでしょうか。
最近の例でいうと、性同一性障害などもそうじゃないでしょうか。
スポーツでいうと、10代の女子アスリートの月経の問題でしょうか。
女性アスリート外来ができて数年ですが、このように指導者が理解を示すのが当たり前であり、指導者が理解する努力を堂々とできる環境(タブー視されない)も必要だと思います。
話を戻しますが、猟奇的な犯罪にも何かしら理由があります。
事件の犯人がサイコパスかどうかは置いといて、
犯罪を起こしてしまう衝動・メカニズムは知っておかないと
”理解できない”では社会は無責任なんじゃないでしょうか。
ドラッグや覚醒剤なども手を染めてしまって抜け出せないのはメンタル(曖昧な表現ですが)面の弱さだと思われる方も多いかもしれませんが、脳のシステムとして快楽を忘れることができないので、本人の意思ではどうしようもできないというのもどれくらいの人が理解しているでしょうか。
もちろん、最初に手を染めてしまったのがいけないわけですが
もっと他人(人間)を深く理解することでそういったことを防げる可能性は十分あるんじゃないでしょうか。
そのためにメディアのあるべき姿も転換期にあるような感じがします。
人間を理解することで他人を許せたり救われる人が多くなればいいなと思います。
また、理解を示せる指導者でありたいと思います。