leeuw14’s diary

思考は現実

空間認知能力

まいど

トレーナーの山﨑です

 

現在関わっているチームの選手の成長が見られたので、シェアします。

 

少し技術的な話になってしまうのですが

年始の試合をサポートで見させていただいたときに、ボールの位置を把握したり、距離を測ったりが苦手な選手がいました。

具体的なプレーとしては、向かってくるボールにヘディングなりトラップなり”合わせる”というプレーをしないといけないのですが、その選手はうまく合わせることができずにかぶってしまったり、ミスが起きていました。

 

 

 

本人は真面目に練習も取り組む選手なのですが、なかなかうまくプレーできないとコーチから聞いていたので少しプレーについてしゃべてみることにしました。

まず気になったのは話の内容以前に目が合いにくい事に気づきました。

 

これはもしやと思い、片方の手のひらを前に出しもう一つの手で手のひらと鼻を交互に触ってもらうテストをしました。

その場にいた他の選手も不思議そうにやってくれたのですが、案の定、その選手はうまくできませんでした。

 

これは何かというと、視機能トレーニングの一つでうまくできない場合空間認知能力が発達していない可能性があります。

つまり目がうまく使えないことで、空間認知もうまくできない。

 

手と鼻という認知の空間に自分の手を認知したイメージ通りに動かす。

これがずれていると、認知した環境に自分の体をうまく”合わせる”ということが難しくなります。

空間認知能力と視機能

この選手には、これできるようになったらもう少し楽にプレーできるよと伝え、

うまくでくるようになるまで練習してもらいました。

 

そしてつい先日その選手のプレーを見る機会があったのですが、2ヶ月前とは全く違うプレーをしていました。

ボールに対してしっかりと合わせる事ができており、コーチもうまくなったと評価していました。

その選手に話を聞くと、思い出したときに手と鼻を触るトレーニングを練習していたとのこと。

実際に、スムーズにできておりプレーにつながっていると感じました。

 

決してこのトレーニングでだけでうまくなったわけではないですが、一つのきっかけとして選手が成長する一端を担えたことは嬉しく思いますし、いわいる教科書どおりの結果が出たことに喜びを感じた週末でした。

指導者と勝負師

まいど

トレーナーの山﨑です。

 

2021年が明けて、順調に仕事もスタートしております。

昨年はcovid-19の影響で自分自身変化の大きい年となりました。

 

もともと会社を辞め独立するという目的があったのでcovid-19がきっかけではないということは前置きとしておいておいて、良くも悪くも影響を受けました。

一つは世界的に生活を取り巻く環境がリセットされたので、マイナスからのスタートが当たり前になったことです。

 

もしかすると、covid-19がなければ周りでうまく行っている人や環境があれば、それを羨んでいたかもしれませんが、そんなことはありませんでした。

むしろ、当たり前としてスタートできたので適応せざるを得ない環境は他の人よりハードルが低かったかもしれません。

 

もちろん、いろいろな制限がある中で活動をしないといけないので対応に苦慮することも多々ありますが、四苦八苦するほどではないので今のところ助かっています。

 

そんな状況なので2021年は自分自身の追求レベルを一段階上げて進化しなければ足元を掬われる。そんな意識で活動していきたいと思います。

 

さて、最近はコーチの仕事の方で勝負にこだわらなくてはならない場面が多数出てきました。

covid-19の様子をうかがいながらも徐々に対外試合が増えてきており(というかもとに戻りつつある)、その中でも公式戦やカップの懸かった試合が多くなってきました。

 

仕事を行う上でのポジションは変わりませんが、役割が全く変わってしまうのでそのことについて感じたことを綴っておきます。

 

普段は選手やクライアントに”指導者”として個人の成果やチームの成果が見えるようになるよううに求められるのですが、こと結果を求められる場面では勝負師としての素質を求められます。

 

ここで言う成果とは、評価する比較対象は過去の自分であるのに対して、結果は評価する比較対象が他者であるという。

前者は成果を求められ、後者は結果を求められる。

勝敗が明確につく競技では偶然や運も含めて、結果と評価される。

それは指導の延長線上に結果が必ずあるのではないということが最近少しわかりました。

というより、結果を出すための要素を追求していたが、追求していたレールではなくもう一本別のレールがあることに気づいてしまった感覚でした。

 

さて、気づいてしまった以上はそちらも勉強していかないといけないのですが、勝利を手繰り寄せる力、勝負強さはどのようにしたら身につくのか。

 

これは2021年の課題でもありますが、これは経験しないと身につかないものだと思いました。

これは誰かに教えられるものではないと、なんとなくですが思います。

 

いわいる勝負師という人たちは、結果を出すことにこだわっている人ですが、勝負師のような指導者は結果を手繰り寄せるプロセスを言語化できる人だなと思います。

そんな事ができる人財でありたいなと思います。

 

最近、自分の肩書をどのようにするかで悩みますが、少し出口の光が見えた気がします。

 

 

子供には教えるよりも導く

まいど

トレーナーの山崎です。

 

 

 

今回は自分自身のアウトプットについて、

指導対象が違えばアウトプットの仕方も当然変わるよなということをお伝えします。

 

最近は小学生に対しての指導が多くなっているので、簡潔にそのことを書くと

「教えすぎない」この言葉に尽きるのかなと感じます。

 

大人と子供を指導するときの違いについては、大人はある程度学習していくにあたっての経験があるので、教えたことが再現できたり、頭で理解することができるのですが、

子供の場合、とくに少年前期と言われる時期の子たちになるとそもそも学習の経験がないので、学習していく中で最初から正解を教えてしまうと学習のプロセスを経験せずにタダの暗記を強要してしまうことになります。

 

「できる」「わかる」がこちらの獲得してもらいたいことだとすると、いかにそのプロセスを体験させるかといったことが重要だと思います。

大人の場合は、理論的に説明しても頭で理解できるのでこちらの目的は比較的かんたんなのです。答えを教えてもあとから理解や解釈をくっつけることができますが、子供ではなかなか難しいです。

 

例えば、子供に指導する際にコーチが怖い、怒るといった指導では、なぜ怒っているのだろう?と考える子供は何割くらいいるでしょうか?

 

おそらく恐怖を回避するために思考は停止するでしょう。

時には怒ることも必要だとは思いますが、感情に任せるような指導は指導とは言えません。

 

いかに指導者側は成功を疑似体験させるアフォーダンスが大事だと思います。

アフォーダンスは造語で、行為を導くための仕掛けのことを指し、デザインの分野などで使われます。

作者が使用者にどのような行動を起こさせるかといった狙いのものになります。

例えば、マグカップの取っ手はやけどをしないようにアフォーダンスされていると言えます。

使用者は、無意識に持つように誘導されていることが多数ではないでしょうか。

 

 

このアフォーダンスという概念が指導に活きると、指導の仕方はガラッと変わり教えるから導くになるのだなと思います。

 

 

 

子供には教えるよりも導く

まいど

トレーナーの山崎です。

 

 

 

今回は自分自身のアウトプットについて、

指導対象が違えばアウトプットの仕方も当然変わるよなということをお伝えします。

 

最近は小学生に対しての指導が多くなっているので、簡潔にそのことを書くと

「教えすぎない」この言葉に尽きるのかなと感じます。

 

大人と子供を指導するときの違いについては、大人はある程度学習していくにあたっての経験があるので、教えたことが再現できたり、頭で理解することができるのですが、

子供の場合、とくに少年前期と言われる時期の子たちになるとそもそも学習の経験がないので、学習していく中で最初から正解を教えてしまうと学習のプロセスを経験せずにタダの暗記を強要してしまうことになります。

 

「できる」「わかる」がこちらの獲得してもらいたいことだとすると、いかにそのプロセスを体験させるかといったことが重要だと思います。

大人の場合は、理論的に説明しても頭で理解できるのでこちらの目的は比較的かんたんなのです。答えを教えてもあとから理解や解釈をくっつけることができますが、子供ではなかなか難しいです。

 

例えば、子供に指導する際にコーチが怖い、怒るといった指導では、なぜ怒っているのだろう?と考える子供は何割くらいいるでしょうか?

 

おそらく恐怖を回避するために思考は停止するでしょう。

時には怒ることも必要だとは思いますが、感情に任せるような指導は指導とは言えません。

 

いかに指導者側は成功を疑似体験させるアフォーダンスが大事だと思います。

アフォーダンスは造語で、行為を導くための仕掛けのことを指し、デザインの分野などで使われます。

作者が使用者にどのような行動を起こさせるかといった狙いのものになります。

例えば、マグカップの取っ手はやけどをしないようにアフォーダンスされていると言えます。

使用者は、無意識に持つように誘導されていることが多数ではないでしょうか。

 

 

このアフォーダンスという概念が指導に活きると、指導の仕方はガラッと変わり教えるから導くになるのだなと思います。

 

 

 

タダで教えてもらったら努力して成長する以外の返し方はない

まいど

トレーナーの山崎です。

 

 

レーニング指導者をやっていると、指導の対価としてお金をいただくことが多いです。

これは生業としてなので普通なのですが、

世の中にはトレーニングコーチやスポーツコーチをボランティア、またはそれに等しい対価で活動されている方も多くいます。

 

言い方を悪く言うと、安い給料で働いているわけです。

この人達の報酬は、やりがいであったり教えた人が成長してくれることが多いのではないでしょうか。

これは指導した相手が"正しい努力"をしてくれることが前提となっているので、結果につながったり、感謝されたりが起こるのですが、

相手が正しい努力をしない場合、結果が出なかったり、指導者と指導した相手の間でギクシャクとした空気が流れるのは安易に想像できると思います。

 

では、時間あたりでお金を頂いて指導する場合はどうでしょうか。

こちらは指導された本人が努力しようがしまいが、結果がどうなろう(プロとして結果を追求する前提)が報酬は目に見える形で受け取っているので、やりがいや結果、指導された人の成長は付加価値でしかないのです。

 

これら別の視点から見ると、人に何かを教えてもらったりする場合、

お金を払うこともあれば、指導する側の人の裁量でタダで教えてもらうことなど日常茶飯事だと思います。

 

お金を払っている場合はいいのですが、ただで教えてもらった場合、

何か恩返ししなければと相手の時間対価値と自分の時間対価値を等価に考えてしまい固まってしまう人もいますが、

教えた側はあまり深くそのようなことは考えていないと思います。

教えたことを正しい努力で続けて結果になったり、成長が見られるのが報酬なわけで、

なにか返してほしいとは思わないのではないでしょうか。

 

もしこのように思わないのであれば最初から報酬を受け取るべきだと思います。

 

 

そして、タダで教えてもらった側は何か等価のものをかえすというより、ただしい努力をして

変化や成長を見せることが、時間をかけてもらった人への最大の敬意だと思います。

 

 

自分も「あいつに教えてよかったな」と思ってもらえるように日々努力していきたいと思います。

積み重ねの最初は辛い

まいど

トレーナーの山﨑です。

 

 

ブログを書き始めて3年が経とうとしていますが、(うち半分の期間はサボってましたが...)

最初に比べるとだいぶと筆が進むようになってきたなと感じます。

 

まず、書こうと思ったきっかけは、自分の知識のアウトプットが必要だったからです。

これはどういうことかというと、実際に学んだり勉強した内容を定着させたり、価値あるものに変えるためには誰かに伝えなければなりません。

 

社会人になると伝わって初めて価値が出るのですが、なかなかこの伝える、自分の思っていることをまとめるというのは普段からやっていないと思うようにできません。

 

トレーナーは身体の専門家として発信する内容などに責任を持たないといけません。

私はそこのハードルが高く感じ当たり障りのない文章になっていました。

情報や知識は底なし沼で、深堀りしたり追求すればどこまででも情報の厚みは出るが、そんな立派な情報をまとめてアウトプットできないと思っていたのでなかなか進みませんでした。

 

 

しかし、書くことを無理矢理にでも続けていると、徐々になれてくるものです。

ここで苦痛だったのは、自分が見てもまだまだ手直しが必要だろうなと思う文章でも、とりあえず出してしまうことでした。

読んでも何が言いたいかわからないことも多々。でもとりあえず書く。

どうせ見てる人も自分のこと知らいないからいいやという、ある種諦めと恥を晒す覚悟がなければ絶対に続かないだろうなと思いました。

いいかっこしいだと前に進まない。最初からいいかっこしいはただの成長を妨げるだけだなと。

ここが心理的なハードルだった気がします。

 

続けた結果、自己分析では事実と自分の思っていることを分けて意識しながら書くことで文章を書くスピードが上がったり量が増えていったことを感じます。

 

また、文章を書く以前に新たに知り得た情報を誰かに言葉で直接伝えるということも、すぐにフィードバックがもらえて説明する力になったと感じます。

 

 

この先も誰かに伝えるという仕事をしている以上、文章を書くという作業は切り離せないと思うので、今後も書くことを練習していきたいと思います。

 

 

最近こちらの本を書店で見つけました。

 まだまだ、伝えたいことが伝わらないことも多いのでしっかり学びます。

 

書評はまた次の機会に書いてみたいと思います。

 

チャレンジ&エラー優先

まいど

トレーナーの山﨑です。

 

前回からまた期間が空いてしまいました。

この間に、ライフスタイルが色々変わりバタバタしていましたが、少し落ち着き出したのでまたコツコツブログを書いていきたいと思います。

 

9月から個人事業主となり、しっかりと一本立ちできるように色々仕組みを整えていっているのですが、前職会社員だった頃とは比べ物にならないくらい社会の仕組みを理解することに必死になっています。

まず、税金やお金に関する知識、マネーリテラシーの低さをまざまざと見せつけられています。

なんとなく理解しているような税金でも、なんとなくでは済まされないのできっちりとする必要があります。

また、今まで大雑把だった分

「こんなに税金払っていたのか!」 

と気付かされ、日本国民としての義務を痛感しています。

 

 

現在のライフワークについてはまた時間を見つけて書いていきたいと思いますが、

好きなことだけで食べていくには、それなりの基盤がないとその土俵にも立つことができないですし、基盤を形成するために時間を費やして勉強するしかないんですね。

 

費用を払って、自分の苦手なことや業務を代行してもらうのもお金や時間の使い方の賢い方法だと思いますが、自分の場合はある程度自分でやってみて全体像を把握しておきたい性格なのでそこに費やす時間は投資だと思っています。

時間はかかってしまいますが、そこで獲た経験は費用対効果を考えるいい材料になると思います。

 

また、お金で時間を買うためには自分でお金を生み出す力がついてからでないとただの浪費になってしまうので、高速でチャレンジとエラーを繰り返し成長していきたいと思います。