leeuw14’s diary

思考は現実

報連相という首輪

まいど

トレーナーの山崎です。

 

報連相とはよく企業で聞かれる従業員として徹底されるべきものです。

組織として動く上では大事な概念ですが、

事前に報告することで重大なミスを防いだり、ボトムアップの意見などを反映させるなどとメリットは大きく、組織強化には欠かせません。

しかし、これはトップが部下を管理しやすくするための仕組みでもあります。

例えば、報連相をしたとしてもトップダウン型の組織ではリスク管理として機能するだけで本来の意味をなしません。

 

組織がトップダウン型なのに報連相を強化すると、組織従属型の人間が強化されてしまい、立派な会社のコマが形成されます。

 

どちらが悪いというわけではないのですが、組織に縛られて生きるというのは、時代背景的にどうなんでしょうか。

 

社会人3年目くらいであればそのようなスキルは身につけるべきだと思います。

しかし、個性や働き方改革と言われる昨今、いつまでも会社に縛られないよう個人スキルを磨かなければとつくづく思います。

 

 

 

 

 

運動形成の五位相を復習して思った事

まいど

トレーナーの山崎です。

 

 

先日お勉強したことを復習です。

運動学といえばマイネル

日本の運動学といえば金子明友さんが有名。

大学の運動学の授業でも習ったんだと思いますが、

記憶の片隅に追いやられていたので引っ張り出します。

 

運動形成の五位相はピンとこなかったのですが、

内容を見ていくと、「あ〜、あのことね」と思い出せたので学生時代に習った事が活きてました。

 

運動形成の五位相とは

原志向位相

探索位相

偶発位相

図式化位相

自在位相

の5つになります。

 

それぞれ見ていくと

原志向位相は運動や技を習得する際にその動きや技にマイナスイメージを持っていない状態です。やってみたいワクワクな感じでしょう。

 

探索位相はどのようにその動きや技ができるようになるか試行錯誤する段階です。まずはトライしている状態ですね。

 

偶発位相は試行錯誤するうちに偶然に技ができた段階です。

 

図式化位相は偶然できた技をいつでもできるようにするためになんども繰り返し練習をしている段階です。トライアンドエラーを繰り返し経験と整理ができてくる段階です。

 

自在位相はいつでも完成された状態で技ができる段階です。

 

さらにこの位相の中にどのような能力が必要かというもっと細かいステップがあり、我々指導者はその段階に応じ適時アドバイスを行なっていることになります。

 

しかし、多くは自身の運動経験を元に指導している事が多いのではないでしょうか。

実際にこのように位相を深く考えなくてもどのようにすれば上手くなるかは自身の経験があれば指導できてしまうと思います。

 

ただ、運動指導者としては教えることのプロフェッショナルであり誰でもできるように導いてあげないといけないので、ベースとして運動がどのように習得されていくかは知っておかないといけないところだと思います。

 

なので、技や運動のゴールが不明瞭な指導というのは非生産的な指導である事がわかります。

例えば、スクワットの形を指導する際のゴール設定が、指導者が正しいと思うフォームである場合、運動学習から考えると運動者の自己の感覚が伴っていない事が多く運動が学習されたことにはならないのではないだろうか。

つまり、運動の実施者が指導を受ける際には自己の感覚で”腑に落ちる”事ができて運動が習得されたと言えるのではないだろうか。

 

いくらフォームばかりを練習しても上手くならないのは目的がフォームになっており、そのフォームで良しとする指導者も悪者ではないでしょうか。

自身の経験の乏しい指導者に多いのではないでしょうか。

なので、指導者自身も運動経験を積んでいく事が大事です。

 

 

 

マイネル・スポーツ運動学

マイネル・スポーツ運動学

 

 

 

スポーツ運動学―身体知の分析論

スポーツ運動学―身体知の分析論

  • 作者:金子 明友
  • 出版社/メーカー: 明和出版
  • 発売日: 2009/06
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 

 

運動学、備忘録

まいど

トレーナーの山崎です

 

 

本日は飛び込みで運動学の勉強会に参加してきました。

内容は、教えすぎることはいいことかというテーマで始まり、指導者は何を教えるのかというところに学問的に踏み込んでいく内容でした。

 

今回負に落ちた点としては、

指導する際に自己観察と他者観察があり、

自己観察は自分の動感を見抜く観察であり、他者観察は自分の動感を見抜く観察です。

 

動感とは読んで字のごとく、動いている感じ。

指導を行う際には他者観察の前提に自己観察があります。

自己の動きを通して感じを掴み、その感覚と他者の動きの感じをすり合わせていく作業が指導になります。

 

このように普段何気なく行なっていることでも、言葉にしていくことは自分の理解度を整理するためには必要な作業です。

熱量

まいど

トレーナーの山崎です。

 

昨年はトレーナーとしてのスキルアップのために色々と講習を受けていました。

そして、今日ひと段落しました。

 

一つはムーブメントスキルに関して、そしてもう一つはサッカーのコーチングに関してです。

技術指導を行うためには技術だけを知っていてもダメだし、コーチングのスキルだけでも技術を知らなければ教えられないということを実感しました。

スキルを教えられる人は自分の感覚で伝えられるかもしれませんが、

果たして、それで十分伝わるのかというのはマンツーマンの指導では伝わるかもしれないですが集団指導になるとコーチングのスキルがかなり問われます。

 

また、教えれることと伝わることは違うとよく言いますが、

伝わることを意識していても実際に伝わっているかどうかはその選手の動きが改善されたかどうかによって評価されるので、変わっていなければ伝わっていないということになります。

ことばあそびになってしまいますが、ティーチングよりもコーチング出来るようになることが指導者として大事だなと改めて気づかされました。

 

また、指導者に情熱があるかどうかは受け手にすぐ伝わることも気づきました。

熱量を伴った指導はコーチングする上で絶対に必要で、

小手先のテクニックの指導だけでは集団を動かすことはできないと感じました。

 

これら踏まえて、私の理想とする指導者像が形になりつつあります。

理想かもしれませんが、実践でき・伝える技術に長け・熱い、この3つは外せないです。

 

あとはここに肉漬けですね。

実践あるのみ。

 

会社員トレーナーのジレンマ

まいど

トレーナーの山崎です。

 

私はフリーランスのトレーナーではなく、会社に雇用されているトレーナーです。

フリーランスと何が大きく違うかというと、簡単に言うと毎月のお給料が保証されているということです。

 

組織に所属しているので、自分のクライアントを見ていればいいと言うわけではなく、組織の運営や組織作りということも行わなければなりません。

 

 

フリーランスと会社に所属して活動するのとどちらがいいかということは、この場では置いておきますが、

組織に所属するが故のジレンマも存在します。

 

組織の仕事として、後輩の育成というものがあります。

新人でも会社に雇用されているのでお客さんへの指導実績が少なくてもお給料が支払われます。

これは人材育成のための投資みたいなものですが、

こちらとしては人材を育成しているのでケツを叩いてでも成長してもらわないと困ります。

しかし、厳しくしすぎてしまうと雇用者なのですぐ辞めてしまいます。

やる気を促すということを行わないといけないことは承知しているのですが、

成長のためにどの程度まで長い目で見てあげればいいのか、

 

トレーナーは、替えがすぐ見つかるかと言うと育成に時間がかかります。

また組織人として活動を行ってもらうために、社会性も身につけてもらわないといけません。

 

組織のレベルを維持するためにそこに満たない者は去ってもらうのがいいかもしれませんが、すぐに替えが見つかり即戦力となるかはわかりません。

 

投資界でいう、損切りができない状態でしょうか。

 

投資のルールで行くとさっさと見切りをつけた方がいいのかもしれませんが、

人を扱う・育成する会社としてどこまで歩み寄ってあげるべきなのか、、

ジレンマです。

 

トレーナー業界が成長するためには俄かの存在も必要だと思います。

しかし、個人的には指導者と呼ぶべき人材に俄かはいらないと思います。

 

 

 

PS.

他人を教育する事の難しさは十二分に分かっているのですが、

ヒューマンパワーだけでは難しく、改めて大枠の教育システムは大事だと思いました。

 

吸い過ぎ

まいど

トレーナーの山崎です。

 

 

スポーツ現場でたまに見る疾患として過換気症候群があります。

簡単に説明すると、ストレスなどからパニック状態になり、呼吸過剰から血中の二酸化炭素が薄くなり、二酸化炭素が薄くなると脳の血管が収縮し、脳が酸欠と勘違いして呼吸を促進して、また呼吸が過剰になり、、、

とグルグル回っている悪循環が生まれます。

よく改善策として、ペーパーバック法と言い、過呼吸の人に袋の中で繰り返し呼吸をさせると、血中に自分の吐いた二酸化炭素が血液に取り込まれ、正常な二酸化炭素濃度になって発作がおさまるのです。

 

ここで重要なのは酸素ではなく、二酸化炭素

よく、酸素を吸うために呼吸をいっぱいしましょうなどとわけのわからない理論がありますが、吸いすぎて血中二酸化炭素濃度が薄くなると脳の血管が収縮してしまいます。

 

パニックになるかならないかの違いだけで、実際に血中二酸化炭素濃度の低い人は多いのではないでしょうか。

パニックにならない人は吸うために胸式呼吸を駆使して酸素を取り込みます。

 

もっと胸を開いていっぱいいっぱい吸いたい。

水槽のぶくぶくが切れた時の金魚を思い出します。

 

こうなると負の連鎖の始まりで、色々と不定愁訴につながります。

 

呼吸は吸うよりも吐く方が大事です。

 

血中の二酸化炭素濃度を簡単に測る機械がないか調べてみることにします。

 

 

理論的だけではダメ

まいど

トレーナーの山崎です

 

 

 

レーニングにも理論的に語られる部分と、昔からのこうしなければならないと言われる部分が混在します。

よく、理論的でないトレーニングは根性をトレーニングしていると言われますが、

必要か必要でないかはよく議論されるところです。

 

例えば、野球選手に素走りは必要かみたいな議論です。

よく日本のスポーツは心技体と言われますが、この”心”の部分はどのように鍛えるのでしょうか。

 

理論的なトレーニングというのは、確かに正しいとは思うのですが、理論を正当化していくといらないものは削ぎ落とされていきます。

 

この、いらないものとは”心”の重要な部分ではないかと思うのです。

”心”とはどのような部分で発揮されるのかというと、誰もが経験していないような場面や、皆が嫌がるような場面、どちらかというとネガティブな場面の方が多いように思います。

理論的なトレーニングというのはなんども言うように正しいトレーニングです。

それはネガティブな状況などを回避し、最も最適な動作や効果を獲得するためのトレーニングであります。

これでは”心”はどこで鍛えられるのでしょうか。

 

そういった意味でも意味のない理不尽なトレーニングというのは必要だと思います。

正確に言うと、意味は無くはないが、近道を求めないトレーニングといったところでしょうか。

 

それは非常に難しい。

精神的なプレシャーを与えると言う意味では、時間の制約をつけるのが今のところ思いつくトレーニングです。

 

この辺りは、ベテランのコーチという人づくりを行なっている人たちの方が得意かもしれません。