leeuw14’s diary

思考は現実

出会いというチャンスを生かすために

まいど

トレーナーの山崎です

 

 

今月に入り、新たな出会いが3件ありました。

今月の目標は新しい出会いを1つ作ることだったので、目標達成したわけですが

1年前の自分ではあまり考えられませんでした。

 

出会いはあったとしても、そこから何か起こるということはほぼなかったと思います。

しかし、ここ数ヶ月は自分から動いて行っていることもあり出会いの後も何かしら繋がっていることも

 

まだ何も形になっているものはないので、ここから形にしていかないといけないのでうすが、

やはり、何か一つ出会いを作ろうとするためにはやはり自分からアクションを起こさないといけないなと思いました。

 

また、出会いがあった際に自分をアピールできる、思いを伝えられるというのは

相手に自分をまたあってみたいなと思わせないといけないと思います。

そのために、日頃から準備をしておかないといけないので、

毎日コツコツこのブログを書くことや、トレーニングに関する情報を集めること

また人に伝えることを繰り返してやっていかないといけないですね。

 

少しづつ力になってきたことを実感できた6月中旬でした。

 

多角的に物事を見る・考える

まいど

トレーナーの山崎です

 

今日も先週行ったセミナーと同じ主催者様のセミナーに行ってきました。

もともとかなり興味のある内容で、自分の中ではこれから来るんじゃやないかなと思っていたテーマだったので人気あるのかなと思いましたが、あまり参加者いなかったようでまだまだ認知されてないのかな感じたのですが

 

自分の感性が時代を先走っているのか、ズレているのか笑。

それはこれからわかると思います。

 

 

さて今回参加したセミナーは感覚を入力するというものでした。

視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚

それぞれの発達のルーツから、それらがどのように運動に影響を及ぼすかなど

コアな話を聞け、また情報量も多かったので非常に満足のいくものでした。

 

あとは自分で使いこなせるようにするためにアウトプットの練習していきたいと思います。

 

また、今日のセミナーのスピーカーは一つの物事に対して色々な角度から捉えているなというのをすごく感じました。

というのは、アウトプットする情報量が半端ないのと、やはりそれだけ吐き出そうとするにはそれ相当のインプットが必要なので、かなりの情報は持っているんじゃないでしょうか。

 

そうなって来ると、いかにインターネット上に転がっている情報が薄っぺらいかというのがわかります。

 

情報は生と素材が見えるところまで掘り下げないと、身についたことにならないし、価値がないと思いました。

 

世の中の全てのものが学び

まいど

トレーナーの山崎です

 

新たに得た情報を自分のものにするためにはよく3人の人に説明するといいと聞いたことがあります。

 

説明する練習にはいいですが、

聞いてもらう人も迷惑です。

 

なので関西人としては、聞いてもらう人のために小さな幸せとして話にオチをつけたいのですが

トーリーをつけて、”予想外”で話を終わらせるのもなかなか至難の技です。

 

日々、落ち着けて(オチつけて)しゃべる練習したいと思います。

 

すべらない話が参考書ですね。

スペシャリストかジェネラリストか

まいど

トレーナーの山崎です

 

よく、トレーナー業界では分業がされ、アスリートの場合であっても体のケアするセラピストから怪我のリハビリを担当するアスレティックトレーナー、基礎となる体を作る担当のストレングストレーナー、モチベーションや思考をコントロールするためのメンタルトレーナー、、、、

 

といったように一つの体といえ、目的が違えばトレーナーが変わるのはよくある話で、それぞれがスペシャリストです。

 

しかし、体は一つでそれぞれを切り離して考えることはナンセンスだと思うのです。

よく、三位一体や、心技体などと言いますが、それぞれバラバラに考えるような解釈をされることもあるかと思いますが、それぞれが相互に影響しあっているのではないでしょうか。

 

というのも、メンタル面で考えると、落ち込んでいる人がめちゃくちゃ姿勢良く活発に動いているイメージは湧きにくいですよね。

たまに、このイメージが一致しない人がいますが、そういう方は何かしら

精神面に問題があるように感じます。

 

なので、心技体でいうと分けて考えるより、

心ー体

体ー技術

技術ー心

といったように統合して考えることが重要だと感じます。

 

なので、スペシャリストはスペシャリストとして極めるのはもちろんですがジェネラリストとしても体というひとつの塊を考えなければならないと感じます。

 

そう考えると人の体はやり奥が深いですね〜

 

何を学ぶか、よりも誰に学ぶか

まいど

トレーナーの山崎です

 

何か新しいことや、自分の気になったものを調べるときは、インターネットでなんでも調べれる時代になりました。

知りたい情報に、ダイレクトにつながる分、情報が溢れ返っているインターネットでは信憑性も考慮しなければならなくなりました。

最近は、テレビでも情報の掘り下げが甘く間違った情報を流してしまうと言ったことがあるようです。

 

 

 

最近は、情報を仕入れる際に、”誰が書いているのか”を気にするようにしています。

情報は、人が発信している以上、その人の思想が含まれます。

 

論文に関してはここが極力削ぎ落とされていると思うのですが、

自分の知識を増やすための情報収集と、自分の知恵、考える力や思考力を向上させるための情報収集に関しては情報の取り込み方が違うと思います。

 

その人の考え方が色濃く出ている記事や情報などは、その人のバックボーンやその人物像を考慮して取り込まないといけないですよね。

 

特に自分の関わっている健康をはじめとするスポーツ科学分野に関しては、新しい知見が次々に出てきます。

なので、現時点では信じられているものが、10年後には全く間違っていたみたいなこともありますし、

時には、浅い解釈で物事を発信し、間違った知識が広まってしまうことも多々あります。

 

体幹トレーニングなんかも、形が先に走り出してしまって、根本的な考え方などの部分が伝わっておらず、

体幹を鍛える=腹筋を中心に体を硬めるトレーニンング

みたいな解釈になっているのは残念です。

また、一般の人ならまだしも、指導者側でこのように解釈している人たちもいるのも事実です。

 

なので、情報を取り込む際には表面上だけでなく、発信者がどのような経緯でその情報を発信するに至ったか、またどのようなフィルターを通して情報が進化してきたかなど考慮しながら吸収しないといけないなと強く思うわけです。

 

なので、情報の価値を高めるためには”人”ありきだなと。

またそのような価値ある情報に出会うためにも3次元的に情報拾うことを意識しないといけないと感じました。

 

 

 

知らないことのほうが多い(乱用)

まいど

トレーナーの山崎です

 

 

最近は、自分の知識を増やすことに意欲的になっているのですが、

つくづく思うのは、基礎的な内容をどれだけ深めていけるかでその上の知恵が変わってくるんだなと感じます。

 

いつも参考にさせていただいている経営者兼トレーナーさんのブログで、

「知識」「知恵」「見識」「胆識」とのワードが出ていました。

 

細かい、説明はまた後日書きたいと思いますが、

「知識」と「知恵」の違いは知っていたのですが、「見識」は説明できるレベルにありませんでした。

また、「胆識」に関しては、

何それ?レベルでした。

 

もちろん調べて説明できるようにしないといけないのですが、

やはり、知らないことが多いなと感じます。

 

この、「自分には知らないことの方が多い」というのも

最近、出会ったインテリの方がおっしゃってたワードをお借りというか真似しました。

あなたがそれを仰ると私なんて、、、、て感じですけど、

知識を増やすために勉強し続けていれば、わからないことが出てくるのは当然で、

やはり、現状に満足してしまったり、奢りができてしまうと成長しませんし、

そういう姿勢って大事だなと感じました。

 

 

 

「学ぶ」の語源は「真似ぶ」  ※諸説あるらしいですが

 

ということで、いいなと思うものは敬意を持って真似したいと思います。

 

 

ブログ更新していたことによる効果?

まいど

トレーナーの山崎です

 

 

ブログを書き出して1ヶ月半が過ぎようとしています。

 

ブログを書く習慣もすこしずつついてきて日々の更新もくじゃなくなりつつあります。

 

わたしは過去に書いた記事はほとんど見返さないです。

何故か自分が書いた文章というのは、恥ずかしいというか、客観的に見てこいつダサいなと思ってしまうのであまり見返しません。

 

サッカーをやっていたときはサッカーノートを書いていましたが、たまに見返すとやっぱり文章がなかったり、もっと頑張れよと思ってしまうので、あまり見返すのは好きではなかったですね。

 

ただ、この見返すという行動は自分と向き合う行為で、

過去にサッカーノートを見るのが苦手だった私は自分と向き合えていなかったのではないでしょうか。

基本サッカーノートや日記など、反省となるような出来事が書いて有ることが多いと思います。

またその時感じたこともあると思います。

 

よく、日記やスポーツのノートは反省するため、振り返るために書くものだとよく言われましたが、

自分を客観的に見て、認めてあげることができていなかったんじゃないのかと感じます。

 

 

今現在でも、振り返る為に過去の記事を見るというのは苦手なんですよね。

つまり、反省しているようで、どこか他人行儀で素直じゃない。

 

所謂、現実逃避てやつですかね。

これだと、アウトプットする能力は向上するかもしれませんが、内面の成長はないですよね。

 

これも今後の課題としたいと思います。

かと言って、いいことや、キレのあることも書いてる場合もあるので、客観的に自分を認めてあげたいと思います。笑

 

題にも上げましたが、書いていた効果としては、コミュニケーションを取る上で初めて合った人でも自分の考えを端的に伝えやすくなったということでしょうか。

上手く伝わったかどうかはまだまだ課題だとは思いますが、頭の中の整理してあったものがポンポンとでて来る感じ。

 

いままでは”んー、どう言ったらいいでしょうか”みたいなのが口癖だったのですが

(なかなかやばいですよねw)

 

すっきりと言葉が出てくる感じですね。

頭が整理されてきたおかげだと思うので、考えを吐き出すということをこれからも続けていきたいと思います。