自由は不自由?
まいど
トレーナーの山崎です。
今月はこちらの本を読もうと思います。
ユダヤ 知的創造のルーツ~超一流を育てる不屈の精神+究極の習慣
- 作者: 石角完爾
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2017/09/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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著者は実際にユダヤ教に入信された日本人の方なので非常に読みやすいです。
まだ最初の方ですが、
日本人とユダヤ人は遠い存在にあると冒頭で語られています。
文化や歴史的背景が違うと言ってしまえばそれまでですが、
ユダヤ人には歴史的に成功を収めているのも事実。
ユダヤ人に学ぶことは、視野を広げる意味では大いに勉強になります。
そなのかでなるほどと思ったのは、
ユダヤ教の戒律(宗教上のルール)がユダヤ人の成功者を多く排出している要因であるということ。
これは、戒律がそうさせるはけではなく、戒律という不自由な制限の中で発想したり物事を遂行する力が
新しいものを作ったり、新たな発見を生み出す要因になっているんだなと感じました。
そう考えると、
自由であるがゆえに成長を留めてしまっていると言っても過言ではないと思います。
ゆとり教育とは真逆の考え方ではないでしょうか。
そういえば、小学校の時
退屈な掃除の時間をどのように楽しい時間にしようかと試行錯誤していたのを覚えています。
行き過ぎて”遊び”になり怒られることも多々でしたが。笑
考えるという作業は限られた制限の中で自由を獲得することじゃないでしょうか。
なので、制限のないものからは自由は生まれない。
不自由を自身でコントロールすることが自律になり、そこから自由を得る。
どっかで聞いた、”律することから始まる”とはよく言ったもんだなと思いました。
ボイストレーナー
まいど
トレーナーの山崎です
昨日、深夜でしたがTVを見ていると、とあるボイストレーナーの方が出ていました。
全く知らない方だったのですが、その方のお名前は菅井秀憲さん
番組の企画で崖っぷちのアイドルをボイトレで生まれ変わらせるというものでした。(たぶん番宣番組)
普通のボイトレだとあまり興味は湧かなかったのですが、この方は一味違いました。
ボイトレのイメージとしては、音域を出すために声の出し方を教えるイメージが強いのですが、
この方の指導方法は、身体本来の使い方を学習させてそこから本来の能力を発揮させる指導をされていました。
まさにボイトレというよりコンディショニングの領域。
そこに、この方の知識や経験、哲学が載っているのでまさに指導者だなと感じました。
おそらくごく一部をかいつまんで見ているので、これだけで語るのは失礼かもしれませんが、
それでも圧倒的な指導でした。
特に興味深かったのは、
「耳が死んでる」
という表現。
番組の中では、正しい音を聞けていないので出す音もずれているというものでした。
そこで、骨伝導で音を聞き、発声する。
そうすると綺麗な音が出る。
というものでした。
耳の機能が落ちると身体にも影響出ると思います。
感覚入力された音と発声する時の音が一致すると身体にどのような影響があるか非常に興味深い分野で、少し調べようと思います。
それにしても、菅井さんは今後も気になる指導者です。
感覚の入出力
まいど
トレーナー山崎です
感覚を理解するのは形のないものを理解することなので非常に難しいと感じます。
感覚は人それぞれ異なります。
しかしそれは自分の”中”の感覚でしかないので、他人とそっくりそのまま共有することはできません。
しかし、自分の”中”と”外”を理解することによって、感覚が言語化されたり他人とシェアしやすくなるのではないでしょうか。
有名な話だと、長嶋茂雄さんは擬音を使って運動を説明していたようですが、
「グッときて、バン」みたいな
自分の感覚を”外”に出した時の表現です。
この感覚が”わかる”人というのは自分の中に運動体験というのがある人で、感受性が豊かだと思います。
逆に”わからない”人は運動体験が乏しく”外”からの刺激の感受性が弱い人ではないでしょうか。
自分の中の世界と自分の外の世界を感じるのは運動学習をする上で必要です。
”わかる”というのは自分の”外”の世界から発見できる能力だったり、”外”の刺激を自分の”中”の感覚と共有できることではないでしょうか。
”わからない”というのは自分の”外”の刺激を感じ取る力に乏しい、または自分の”中”の世界だけで完結してしまって、”外”を意識できないということではないでしょうか。
自分でも書いていてなんのことかわからなくなってきたのですが、
運動を学習する時は”コツを掴む”ということが大事になってきます。
この”コツ”はなんなのか?というところにフォーカスして考えていくと、
運動指導する際のヒントになるんじゃないかと思い、
書いて見ましたが、
単純なことではないなと思いました。
理解するためには、哲学的な考えも必要だなと。
もっと勉強したいと思います。
社会の荒波に流されないために
まいど
トレーナーの山崎です。
今年も残り3ヶ月を切りました。
年初に立てた目標が先延ばしになってしまったので、
もぬけのから状態になりつつありましたが、
その目標は通過点に過ぎないので、もっと大きな目標に向け邁進したいと思います。
最近、ざっくりとこんなことやって見たいなと思うことが何点かあります。
1点目は、まず海外に行きたい。
どこか具体的に言うと、ドイツかアルゼンチン
アルゼンチンであれば向こうのサッカーやトレーニング環境を見てみたいですね。
アルゼンチンへのサッカー留学は聞いたことあるのですが、トレーナー留学とかあるんですかね。
ドイツも同じ感じですが、ドイツはもっとトレーニング科学が進んでいるイメージ。
こちらも勉強したい意欲が大きいですかね。
2点目は、個人事業主として組織を立ち上げたい。
これは、トレーナーに関わることじゃなくてもいいのですが
大なり小なり、ビジネスの勉強は今後していかないといけないといけないと思います。
もちろんそんな簡単なことじゃないと思いますが、チャレンジしてみたいことの一つですね。
3点目は、スポーツに関わる
現在はフィットネスに関する現場ですが、やはり勝負事にこだわって仕事したいなと言うのが正直なところです。
最終目標はここだと思うのですが、少しスポーツから離れた期間が長くなってしまいました。
もちろん圧倒的にフィットネスの方が需要は大きくビジネスチャンスもあるのですが、
憧れはやはりこっちですし、スポーツが目指すところに位置しないといけないと思います。
また、そうあらないと今後の日本のスポーツ界は衰退していくのではないでしょうか。
少し話は飛びますが、
スポーツ界の発展のためには優秀な指導者が必要です。
しかし、地域スポーツなどを見ていると、
ただその競技をやていたと言うだけでコーチをやっていたりします。
部活の顧問などはこれに近いんじゃないでしょうか?
(もちろん中には運動学などを収めている方もいらしゃいます)
運動指導は学業を教えるくらい専門性の高い分野だと思います。
特に一般的には小学生の方が指導が簡単に思われるかもしれませんが、
色々な能力が伸びる大事な時期でもあります。
育成年代の指導の方がより専門性が問われます。
しかし、ここの年代に資金を集めて優秀な指導者を雇おうとする社会ではないのも日本の現状です。
現状は、日当数千円で部活を見ている若い人たちが多いのではないでしょうか。
これでいい指導者は集まってくるでしょうか?
大学では大学スポーツをビジネスにする流れが加速しているようです。
(この分野はまだまだ勉強不足なので深く書けませんが、、、)
スポーツ界の経済発展はこの辺りの問題をクリアにしていかないと、
日本のスポーツ界は日本経済と共に廃れてしまう気がします。
少し話は大きくなってしましましたが、そんなところにメスを入れれる人間になりたいなと、まだまだ勉強不足ですが思います。
フィットネスにおけるパーソナルトレーナーの実情②
昨日ははパーソナルトレーナーが年収1000万円稼げるのかどうかと言う考察を書きました。
フィットネスにおけるパーソナルトレーナーの実情① - leeuw14’s diary
続きです。
フィットネスクラブでのパーソナルトレーニングでは実際どのようなことが行われているのかと言うと、
ボディメイクや機能改善、ダイエットなど
お客さんのニーズによって様々です。
もちろん結果を出すためにはそれなりの知識や技術は必要なのですが、どの程度のレベルかと言うと、
雑誌に書いてあるような内容でも十分と言えます。(フィットネス中上級者には通用しませんが)
最近はネットなどで情報が溢れかえっているので、どれが正しいかと精査する能力が必要ですが、フィットネスに限った能力ではないと思います。
そう考えると、人気を集めるのが上手い人間がフィットネスクラブで仕事をもらえるのが想像しやすいかと思います。
つまり水商売(サービスに特化)とあまり変わらないのではないでしょうかと言う話でした。
お客さんとしては満足して受けていただいているので、問題はないと思いますが、
果たしてフィットネス業界やトレーナー業界にとってそれでいいのでしょうか?
知識や技術を高めて評価されるべき世界だと思いますが、それではレベルの低いままにならないでしょうか?
前回200本くらいすればとの話でしたが、贅沢せず普通の生活をしようと思えば60本くらいで十分生活できます。
各々のトレーナが向上心があればいいのですが、そこで満足してしまえばレベルは上がらないでしょう。
商品などいいものが残っていくと思うのですが、お客さんなどが何をもっていいものと判断するかは難しいと思います。
そうなると、フィットネス側の基準が重要になってくると思うのですが、
果たして、そこまでのゲートが設けられているのでしょうか?
これはフィットネスクラブによりピンキリだと思います。
厳しいところ(知識や技術を問う)もあれば、面接で資格だけ見て研修もそこそこのところもあります。
サービスを受ける側としても知識をつけないといけないのか、
提供する側のレベルを下げないことを維持しないといけないのか、
双方必要になると思いますが
業界人としてはトレーナーとして知識、技術、経験、サービスの基準を高く保てるトレーナーが稼ぐ世界にならないといけないと思います。
フィットネスにおけるパーソナルトレーナーの実情①
まいど
トレーナーの山崎です
最近、マツコの知らない世界でパーソナルトレーナーが取り上げられていたと聞きました。
フェイスブックでも、このことに言及したブログなどがちらほら上がっており、話題性が高かったことが感じ取れます。
私はみていないので、聞いた話でしかないのですが、
年収1000万を超えるトレーナーも存在する。
と紹介されていたそうです。
私がみたブログ記事では、盛っているや、現実はそんな甘くないなどとった書かれ方をしていました。
私は、この紹介のされ方は嘘はないと思います。
なぜそう思うかを書いていきたいと思います。
⑴実際に1000万稼ぐトレーナーはいる。
まず、1000万稼ぐとなると、月収で90万近く稼がなければなりません。
パーソナルトレーニング1セッションの値段相場は大体60分6000円〜9000円
都心部に行くほど単価が上がっているイメージはあります。
また大手フィットネスでは2〜4割ほど引かれる(成績によって変わったりします)ので実質”最低”でも1時間4200円くらいでしょうか。
そう考えると月200本近いセッションを行わなければならないわけです。
週間で考えると50本
週6日働いたとすると1日8〜9本
1日8本詰まっているまあまあしんどいのですが、こなせなくはないです。
セッションの内容によってはトレーナー自身楽だったりするので、そこまで苦にはならないですね。
ちなみに単価が低くてこの量です。
ただ、何年もこれを繰り返せるとは思えないので、皆さん単価を上げていかれるのだと思いますが、不可能ではないです。
しかし、ここまで集客するのが大変だと思うのが一般的ですよね。
集客するためには実力がないといけなかったり、経歴がなかったりしないと大変なのではと考えるのが普通です。
しかし、実際はそうではないのです。
⑵フィットネスの現場だと実力や経験はそこまで問われない。
パーソナルトレーナーの世界(フィットネスに限らせてもらいますが)では、
”技術=お金”は成り立ちません。
すごく技術や経験はあるのに、予約が空いているトレーナーなどいっぱいいます。
そこにはビジネスの能力も含まれるからなのですが、それは真っ当にやっている人たちだと思います。
もちろん知識・技術・経験は必要で、信頼に繋がるところなのでもちろん大事なのですが、
一般のトレーニーに対してそこまで知識や技術は必要かと言われると、
そこまで必要じゃないことの方が多いと思います。
と言うか、お客さんからしたらわからないですし、トレーナーと名乗るのに資格もいらないので、言ってしまえばそれだけで”先生”になれてしまうのです。
これは、日本のトレーナー制度は民間資格がほとんどで、どれもピンキリの資格なのです。
資格が多い方が多少信用度は増しますが、有効な資格の数は限られます。
じゃ、お客さんは何を信用するかと言うと、その人の見た目や態度、人柄と言った部分が大半を占めます。
結果は後からついて来ればいいですし、全く運動していなかった人が、運動を定期的に繰り返し出すと、やり方さえ間違っていなければそれなりの結果が出てしまいます。
そう言った意味では、少々表現が荒いですが
民間フィットネスにおけるパーソナルトレーナーは水商売と変わらないのではないでしょうか。
そう考えると、人気を集めたり、濃い接客をすれば自ずと人が集まってくるのは不思議ではないです。(もちろん人によっては向き不向きがあると思います。)
以上が、年収1000万円稼ぐトレーナーのカラクリだと思っています。
中には、知識・技術・経験でそれだけの結果を残している人たちもいますが、一握りではないでしょうか。
水商売が悪いとは全く思はないですし、それも一つの武器だとは思うのですが、
知識・技術・経験を問わない人気は果たして、業界的にどうなのでしょうか?
長くなってしまったので
ここからの考察はまた次回、、
準備不足はそもそも、、、
まいど
トレーナーの山崎です
一週間以上ブログの更新が空いてしまいました。
この二週間ほど地元に戻って仕事をしていたり、田舎に帰っていたり、
講習を受けていたりとバタバタでした。
今日で一通り落ち着いたとともに、
今年立てていた目標をひとつ失うことになってしまいました。
原因としては、自分の準備不足。これに尽きると思います。
期限があるものに対して、準備が間に合わなかったため再チャレンジはまた来年になります。
いつもギリギリで行動を起こし、なんとなく今までは通ってきましたが、ほんの数週間のズレで間に合わないことが、1年のロスになるとなると、
この歳になってくると時間がもったいなく感じてしまします。
準備を早くすることに越したことはなと思います。
そして、準備をするためには計画が必要です。
計画を立てるためには目標が必要です。
そもそも目標設定が甘いんじゃないかと、思い、
今後見直す必要があると感じています。
もともと失敗から学ぶことの多い人生だと思っていますが、
お金は取り返せても、時間は取り返せないことを身にしみて感じます。
目標設定を見直し、
2017年も残り3ヶ月
後悔のないよう全力で生きたいと思います。